❝九谷焼❞のお買取りをさせて頂きました‼
こんばんは!
出張買取り専門店の楽楽本舗です。
今日はビックリするほどの大雨と強風でしたね。。。
あまりの風の音に台風や嵐かと思うほどでした・・・
明日は一転暖かくなりいいお天気だそうですので、G.Wを満喫してくださいね‼
そして本日もお客様より出張買取りさせていただきました商品のご紹介です‼
❝九谷焼 八幡窯 高砂人形❞
一度は名前を聞いたことがあるかもしれません『九谷焼』
九谷焼は、明暦元年(1655)に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりです。
しかし、わずか100年たらずで廃窯。原因はいまだ定かではありませんが、
この間に焼かれたものを、現在「古九谷」と呼んでいます。
廃窯後100年は、日本の陶器といえば伊万里焼でした。
ところが、江戸後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。
さらに、その若杉焼が成功したことで、かつて古九谷を生み出した大聖寺藩でも、古九谷再興の動きが強まりました。
その中心人物が、大聖寺の豪商、吉田屋伝右衛門だったのです。
文政六年(1823)、九谷村の古九谷窯跡の横に登窯を築き、翌年、九谷焼を焼き始めました。
明治時代に入ってからは、九谷庄三(くたに・しょうざ)の彩色金襴手が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。
そのきっかけとなったのが明治6年(1873)のウィーン万博です。「ジャパンクタニ」として九谷焼の名が一気に広まりました。
九谷焼は、陶器も磁器も両方あります。上絵付けを九谷でしたものを「九谷焼」としています。
高砂人形は、能の「高砂」と、能の元となった「相生(あいおい)の松」という伝説に出てくる、
おじいさんとおばあさん(松の木の精)をモチーフにした人形で、長寿と夫婦和合の象徴です。
高砂人形は、幸せに年を重ねた理想的な夫婦の姿の象徴として、大変縁起の良い物なんです。
結納品の一つとしてよく用いられ、特に 関西地方 や 近畿地方 などではよく贈られています。
ですので、お宅にある方もいらっしゃるかもしれません。
今回お読みいただいて気付いた方もいらっしゃると思いますが、
興味がない方にはその価値も分かりづらいと思いますので、
そういった際には是非とも当店へお問合せくださいませ!
当スタッフが誠実に対応致しますのでよろしくお願いいたします。
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